80年代の作品のレビューがないので、2回分だけ連続でレビューしようと思う。「懐かしい」と思う人もいれば、「こんなの知らない」という人もいるだろう。日本版のビデオを持っているけど、おそらく今では廃盤になっているのだろうか。鑑賞した当時は、俳優目当てで鑑賞せずにレンタルして内容がよかったから中古品を購入した記憶がある。まあ、アジア映画が好きだから。内容としては、かなりメッセージ性が詰まっており、比喩的な表現を多くしている。レビューではあまり掘り下げないで書いてしまった。
鯨とり -コレサニャン- (原題:鯨とり)
制作年:1984年
監督:ペ・チャンホ
出演:アン・ソンギ、イ・ミスク、キム・スチョル
ジャンル:アクション、ヒューマンドラマ、コメディ
鑑賞:日本版Video
ソウルにある一流大学の哲学科に通う学生ビョンテ(キム・スチョル)は、好きだった女子大生にふられてしまった。優しいが内気な性格のビョンテは、夜を彷徨っているときに、具合悪そうなひとりの女性を助けようと手をかしてしまったことで警察沙汰になってしまった。警察署での事情聴取で、女性の言い分は強姦されそうになったことを供述するが、ビョンテは女性が自分の腕時計を盗んだと供述する。そのとき、後ろの牢屋に入っていた乞食の親分(アン・ソンギ)が女性の下着まで調べたのかとアドバイスしたことで、一連の事件は女性が嘘をついていたことが立証されて、ビョンテとなぜか分からないが親分も釈放になった。ソウルの街中に戻っていく親分の後ろをついていくビョンテは、一緒に行動するようになる。ビョンテは、全てを捨てて鯨を探しに行くと豪語している。そのようなビョンテを元気づけさせようと親分は、二人で売春宿に行き、そこで失語症の娼婦チュンジャ(イ・ミスク)と出会う。ビョンテはチュンジャと愛し合い、彼女が何故このような状態でいるのかを教えてもらい、自分の知らないところで訳も分からず売春宿の主人(イ・デグン)に売られていたのだ。その理由に気持ちが揺れたビョンテは、親分と二人で売春宿からチュンジャを脱出させ、チュンジャの故郷であるウドという離島を目指して三人で行動する。しかし、売春宿の主人も彼らの後を追って、何とか商売道具であるチュンジャを取り戻そうとする。奇妙な組み合わせの三人が、チュンジャの故郷を目指し、様々な出来事に遭遇しながら旅をするお話。
監督は、『鉄人たち』『赤道の花』のペ・チャンホ監督。
出演者は、乞食で本名ミヌであだ名が親分を演じるのは『鉄人たち』『赤道の花』のアン・ソンギ、失語症の娼婦チュンジャを演じるのは『外泊』『夜が崩れる時』のイ・ミスク、哲学科の大学生ビョンテを演じるのは本作スクリンデビューのミュージシャンのキム・スチョル、売春宿の主人を演じるのは『カッコーの啼く夜 別離 (原題:郭公は夜鳴くのか)』『暗闇の子供たち』のイ・デグン、売春宿主人の手下を演じるのは『天が呼ぶ時まで』のファン・ゴン、売春宿主人の手下を演じるのは『馬鹿宣言』のナム・ポドン。
無気力な大学生ビョンテ、インテリな乞食親分、失語症の売春婦チュンジャといったアンバランスな三人が、目的地に向けて旅をするロードムービーである。ビョンテの学園生活から始まり、警察署で乞食親分と出会い、売春宿でチュンジャと出会うといった具合にストーリーが進行することで三人となっていくのだ。三人の関係は、ビョンテとチュンジャが恋人関係、親分は二人からみると兄貴的な存在であろう。
時代背景も軍事独裁政権を倒し、民主化していこうと活気に満ちた人たちを映すのではなく、逆に違った方向に進んでいる人をみせている。親分はロングコートに身にまとっており、内側に生活必需品が完備されており、公衆便所で顔を洗い髭を剃り身なりを整えた乞食なのだ。そして、お金に対する欲がなく、飯と寝床さえあれば満足な思考をしているのだ。親分の詳しい過去をみせることはないが、とある大学教授が親分をみて教え子に似ていることで声をかけられたり、妙に学があったり、機転が利くところをみると、自ら望んで乞食をやっているのがみられる。
そんな親分と行動を共にするのがビョンテであり、ビョンテは親分の生き方に興味を持ち出し、売春宿でチュンジャと出会い、本当の愛をみつけるのだ。チュンジャの過去がみえるのが、ビョンテと二人っきりでいるときにみせており、母のいる故郷の島に帰りたいと強く望んでいるのだ。そこから、大冒険の始まりでソウルから南下して目的地のウドという離島へ向かうのである。
単に目的地に向かうだけでなく、売春宿の主人と子分らがずっと彼らを追いかけているところにおもしろさがある。救急車を盗んで暴走したり、バスで移動中に途中で降ろされたり、交番でのやりとり、葬列に紛れ込んだり、お金がない三人が飲食店の女将やお客との出来事、追っ手から逃れるために走行している貨物列車に飛び乗ったり、一度親分と別れたビョンテとチュンジャが市場で再会したり、といった多くの珍道中をみせていることで自然と笑いが出てくる作りになっている。
同年代のビョンテとチュンジャの設定は、正反対の青春を過ごしているところに良さがみえる。ビョンテは一流大学に在学している大学生という身分であり、チュンジャはド田舎の娘でソウルに出てきたはいいがあれよあれよと流されて売春婦にまで成り下がっている。性に関しても一方は童貞でもう一方は淫売という形をみせている。表と裏の青春時代をある時点で交わって、同じ青春時代を短い間であるが共有しているのだ。二人の恋の行方を終盤にみせているが、まだまだこれからといった感じで映画としては閉じているので、後は鑑賞者の心の中で二人の結末を考えるのも良いであろう。
気になるのが「障害者」をかなり強調して表現しているところが目立つであろう。親分が黒いサングラスと盲人安全杖を出して外国人夫婦から盲人のマネをしてお金を乞う姿をしたり、ピンチなるとすぐに盲人のフリをして難を逃れる姿をみせている。売春婦チュンジャは、元々は話すことができたが生活環境によって失語症の障害を抱えており、フリではなく障害者になってしまっているのである。「障害者」を武器にして物事を自分の有利な方に導こうとしている点がある。大目にみてくれる人もいれば、逆にそのような障害者に対して、チュンジャを売春婦として問答無用に扱き使う売春宿の主人の行動があったり、全編を通してみると障害者に対する労りがないのが数々みられるはずだ。
人物描写の他に映像面の良さがある。ソウルの都会から始まる旅は、南下していくにつれて田畑や山々といった田舎道をバックに走り抜けていくときにみせる風景である。雪が残るかすかに白い山々の美しさ、舗装されていない道路、目的地近辺でみせる海といったところである。
日本版Videoで観れた韓国映画の80年代~90年代前半作品って、エロスを全面にアピールしたものが多い気がした。昔のレンタルビデオ屋さんは箱ごとレジに持っていくから、エロ映画みたいなパッケージになっていると恥ずかしかった記憶があった。
【なめ犬的おすすめ度】 ★★★★